生い立ち・家族

5人姉妹の末っ子として誕生

 1955年栃木県出身

5人姉妹の末っ子として生まれました。

 

実家は先祖代々続く古い家。過去帳に今から250年以上前の祖先の名前が刻まれているほどの歴史ある家です。大正生まれの両親は、父が陸軍士官学校出身、母は国立大学出身と揃って厳格な教育者。私が幼い頃は家族以外の人が数人一緒に住んでいて、人の出入りが多く、いつも賑やかな家でした。

  

私は末っ子として可愛がられて育ちましたが、両親は躾やしきたりに厳しく、祖先への尊敬の念や道徳心については心得として教えられました。


嫁姑関係が悪化

 25歳で結婚した私は姑との同居をスタート。同居について両親は心配していましたが、それまで周りの人に愛され、何不自由なく楽しく過ごしてきた私には自信がありました。何の根拠もありませんでしたが「私なら大丈夫!」と確信していたのです。しかし私の生活は、ここから大きく変わってしまいました。上手くいくはずだった姑との関係は悪化の一途を辿ったのです。

 

姑は江戸っ子で早くに夫を亡くしましたが、女手一つで2人の息子を育て、大学を卒業させた苦労人でした。

 

今でも鮮明に覚えています。姑の手のあかぎれが酷かったことや、息子の下着を繕って自分が履いていたこと。結婚して初めて買い物に行ったとき、1500円くらいの買い物で叱られたことや、部屋にはこたつしかなく、寒くて寒くて仕方なかったこと。

 

朝ごはんはいつもヤマザキのロールケーキでした。温かいうどんを食べたくても、くだものを食べたくても、ヨーグルトを食べたくても……食べたいと言えない私

 

 

夫が朝早く出勤した後は、毎日1時間かけてお掃除をしていました。毎日毎日、夫が出勤してから戻るまでの間、姑と2人きりの生活。夫は給料を姑に渡していたので私には小遣いがありません。本当に悲しい日々でした。


姑との人間関係が悪化し家出を決断

我慢の連続の毎日で、唯一楽しかったのは夫のいる時間だけでした。しかし、そんな生活をずっと続けられるはずはなく……。とうとう我慢の限界を超えてしまった私は妊娠6ヶ月の時、夫が出勤した後にそっと家を出ました。

 

電車に乗って向かった先は栃木の実家。許して欲しい。でもきっと両親は私を嫁ぎ先に戻すだろう。そんな想像をしながらの突然の帰宅。けれども両親は、私が実家で出産するのを許してくれました。

 

後にこの時なぜ私を許してくれたのかを聞いたところ、母は「このまま帰らせたら自殺されそうだったから」と話していました。それほど、当時の私は精神的に崖っぷちにいたのです。

 

できるなら出産後も実家にいたかったのですが、両親の説得で夫のもとに戻ることになりました。当時の田舎では、“出戻り”というレッテルは両親だけの話ではなく、一族の問題になっていたのでしょう。そして、残暑が厳しい9月のある日、母に連れられ、私は半年ぶりに横浜の家に戻りました。

 

そのとき母は玄関先で、出迎えた姑に土下座をして謝りました。大好きな母が大嫌いな姑に土下座して謝っている。その姿は今も脳裏に焼き付いています。私は何て親不孝をしてしまったのだろう。大好きな両親のもとでのびのびと何不自由なく育った私が、初めて悩み苦しんだ瞬間。「私が我慢すればいいのだ」と心に誓いました。しかし、一度こじれた関係を修復することは難しく、私は何度も神経性胃炎での入院を余儀なくされました。


長男・長女の誕生

長男が誕生したのはイギリスの皇太子がダイアナ妃と結婚した日でした。暑い夏の日、前日に食べすぎたトウモロコシでお腹を下したと思ったら、それが破水でした。陣痛中は何度ももどしてしまいましたが、それが幸いしてお腹の子どもが下がり、分娩台に上がってから10分程で産むことができたのです。子どもの顔を初めて見た時、私は感動で笑みが止まりませんでした。二番目の出産の時は分娩台で女の子とわかった瞬間、嬉しくて嬉しくて涙が出たのを覚えています。

 

その2年後、私は再度妊娠しましたが、胞状奇胎で流産手術を受けました。そこで気付いたのです。「子どもは出来るものではなく、授かりものなんだ」そう自覚しました。


嫁姑問題の収束

子どもたちが産まれてからも嫁姑問題は続いていました。

 

家族4人でディズニーランドに出かけるという朝、姑の機嫌が悪く怒鳴り始めました。私はそれに耐えられず、二階の部屋で膝を抱え、嗚咽していました。しばらくして顔をあげると5歳の息子が私の横に正座してじっとしていたのです。私は驚いたと同時に小さな子供の心を傷つけてしまったと後悔しました。子どもは言葉には出さなくても大人が思っている以上に聡明なのです。

 

しかし、嫁姑問題は私がフルタイムで働くという形で表面的には収まりました。私が外で忙しく働いていると姑はご機嫌でしたが、私の心が完全に休まることはありません。出勤する時、カーテンの陰から見送る姑の姿、帰宅時には玄関に立って待っています。振り返るとそこにはいつも姑がいて、心の重荷になっていたのです。

 

帰宅をする時はいつも、玄関に入る前に自分の頬を叩いて気持ちを入れ替えていました。このような状態でしたから家に帰りたいはずもなく、30代、40代は夢中で仕事に明け暮れていました。毎日の残業や休日出勤もある生活。子どもが最もかわいい乳児期から小学校高学年の時期、私は子育てを夫と姑に任せっぱなしにしていました。

 

その陰で子ども達はどれほど寂しかったのか今となっては申し訳なく思います。しかし、その時の私には子育てを取るか、仕事を取るかの選択肢はなく、姑との関係が最優先でした。

 

そんな問題続きだった姑との関係も歳を重ねるごとにお互いが丸くなり、仲良くすることができました。今年99歳になる姑は老人施設にいますが、認知症で自分の息子を忘れています。しかし何と私の事は覚えていて「欣子は仕事が忙しいの?風邪はひいていないか?」といつも私の身を案じてくれています。


孫の誕生・思い出

孫は長男のところに2人、長女には3人いて、いずれも女の子です。住まいが近いこともあって頻繁に我が家で夕飯を共にしますが、女の子5人で学芸会のまねごとをしてくれる時もあります。その光景を見ていると、私も子どもの頃、5人の姉妹と一緒に両親や親戚の前でお遊戯や歌を歌ったことを思い出します。それはとても懐かしく、今の私が幸せであるように両親も幸せだったんだろうと思いを馳せています。


家族から見た山本欣子さん

夫 山本武夫

私がある店の店長をしている時、社長宅の寮に、新入社員が来るとの事で、荷物の積み下ろしを手伝ったことがありました。荷物は本と、レコードが大半で大変重く、ぶつぶつ文句を言ったものでした。仕事中も学園出身者との事で、ちょっと生意気で喧嘩ばかりしてた気がします。

それが今の嫁さんですが、つき合うこともなく会社を辞め五年後に何かの用で電話があり電話に出た私としばらくぶりに話しをしました。電話が来た三日後が私の誕生日で逢いたいね、と言う事でそれからお付き合いが始まりました。

結婚後は、姑のいる家に嫁いで来て、苦労は多かったと思います。しかしながら、この頃より色々な仕事のキャリアを積み今が有るのでは。その間私は、鼻、胃、腸と大きな手術を行い、姑問題と共に苦労をかけたと、感謝しています。

これからも元気に、近くに住む息子家族、我が家族、10人で笑いながら、過ごしたいと思います。

 

長男 山本祐輔

経営者としてのバイタリティーは尊敬している。

 

長女 山本麻実

宇宙一の理解者。

どんな時も味方でいてくれて、常に家族の幸せを願ってくれています。

同居を始めてから毎日楽しく笑って過ごせるかけがえのない時間は、家族の中心である母の愛のお陰です。

女性として、経営者として、母として尊敬しおり、私も自分の娘からもそう思われる存在になりたいと思っています。

中学の頃家出をした時に、警察に捜索願を出し夜通し探し回ってくれてた事がありました。今自分がこどもを産んで親になり、当時母がどんな思いで探し回っていたかと思うと胸が張り裂けそうです(涙)きっと生きた心地がしなかったと思います。今までたくさん心配かけてしまいましたが、その分親孝行して、色んな場所へ行き、思い出を作って一緒に人生を楽しみましょう!!

引き続き笑いの絶えない家庭でいたいと思います。

 

孫 海音

バァバの良い所はすぐ、人の変化に気付いて相談に乗ってくれるところです。私や妹、家族の誰かがいつもより元気が無かったりすると隣に座って、背中をさすりながら「何かあった?」といって何時間も相談に乗ってくれるところです。そして、必ず最後には必ず「バァバは海音の味方だから、海音なら絶対にそれを達成できるよ」と、いつもいつも私を理解してくれて励ましてくれます。

また、相談に乗ってくれる他にも、部活や勉強をしていてとても疲れている時などは「海音お疲れ様。よく頑張ったね!肩揉んであげようか?」と言い無料で世界で一番気持ちのいいマッサージをしてくれるところです!(たまに、5千万といいお金を取られそうになることもあるので要注意!!)

マッサージをしている時はバァバのはまっている韓国のドラマの話や、仕事で楽しかった出来事、バァバや私の将来の夢や目標、悪いニュースを見た時はそれを無くす為にはどうしたらいいか、自分には何ができるかなど、とても深い話をしたりしつつ、とてもゆっくり話したりしています。

そして、海音が一番思うバァバの素敵なところは、人の夢•目標、今頑張っている事を全力で応援してくれるところです。

私が鉄棒で逆上がりの練習をしている時は、アドバイスをくれて、手にマメができるほど練習しているなら絶対絶対できる!と応援してくれたり、部活でスタメンを取るために家の前で走っていた時も窓から顔を出して、早いなぁ〜と言って、頑張れ!って励ましてくれたり!私や妹が頑張っている事があれば、「世界で2番目」に応援しているよと言ってくれます。そんなとても優しくて世界一かっこいい海音のバァバが大好きです!

 

孫 莉愛

ばぁばの素敵なところは家族の食生活を考えてくれているところ。優しくて面白いし、悩み事の相談をしやすい。マッサージが世界一気持ち良い。

 

孫 夏望

ばぁばの素敵なところは、勉強を教えてくれて、たまにお小遣いもくれるところ。いつもお洒落な洋服を着ていて、大人になったらお下がりであげるねって言ってくれたとこ。